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英語の向こうがわ〜縄バシゴとしての英語

 

なんねんぶりだろう。英語をやっぱりやりたいな、というか、やらないとちょっと苦しいな、とオリンピックが東京に決まった朝、眠い頭でぼんやり思いました。

外国の人が日本に沢山やってくるから道案内くらいできなくちゃとか、遅ればせながらキャリアアップだとか思ったわけでなく、この先、日本語しかできないとちょっと息ができなくなってしまいそうだなぁと思ったのです。やむなく手をのばした先が“とりあえず”英語でした。

今から20年前、とりあえず英語をやるのはいったんやめてみようかなと思いました。でもいずれ、英語の向こうがわに、どうしても会いたい人や、知りたいものや、そういうものが現れたら、そのときはたたたたっと英語の橋をわたって、あっちにいけるんじゃないかなぁとも思っていました。英語を勉強することが、筋肉をつけることじゃなく、何かと出会って、やわらかくなるようなことだといいなぁ…と思っていたのかな。

でも結局20年、なんにも向こうがわに愛するものを見つけられず、橋の手前で起きたり眠ったりしているうちに、日本語を話さない面白そうな人が現れても、なんとなく、もじもじ笑うだけの人になりました。そしてだんだん日本語の世界でホモサピエンスとして生きることに疲れはてることとなりました。

いま、向こうがわに誰も何も見えてはいないけど、崖の向こうがわから、ぱらっと縄梯子みたいに英語が落ちてきたから、向こうに何があるかわからないけど、とにかく、このハシゴにのぼってみよう。しがみついて、のぼって、あっちに歩いていってみようかなと思います。

夢に至るためのきれいな橋というより、必死に逃げ出すためだけの縄バシゴとしての英語。私がもう一度英語をやりなおす動機は、そういうとても当てのないものです。

それでも指の先に、ちょろっと触れる、英語の向こうがわ。あ、これ読みたいなぁとか、知りたいなぁとか、話したいなぁと思う向こうの風景を、ここに少しずつスクラップしていこうと思います。20年ぶりにやりなおす英語1年の記録です。

ツムキウム編集室:
十人十色、一色目。
英語をやりなおすタビの記録をよたよたとつづります。
山口生まれ、千葉育ち、東京ぐらし。
うろうろと息のしやすい言葉の回路をさがしています。
与那国島の出版社 kadibooks『馬語手帖』のお手伝いなど。
http://www.kadibooks.com/