世界には何千語もあるのに、どうして英語を勉強するんだろう? ―もしかしたら誰もがちょこっと思ったことがあるかもしれない疑問のまわりを時々うろうろしながら、 それでもやっぱり英語を学ぶことにした人の、十人十色の旅の記録。新しい海をわたるまで。

 

There are thousands of languages in the world, so why study English? This is the multi-colored journey of a someone who's considered this question, which is perhaps something we've all considered at some point. Despite all my wandering, I keep coming back to studying English in the end... at least, until I get to traverse a new sea.

2017.7.7

HOMEWORK vol.2 -How do you express your feelings?-

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HOMEWORK/English school/Asuka Okajima
HOMEWORK/English school/Asuka Okajima

 

I could speak neither English nor Czech in the first three months of my visit to the Czech Republic. I still remember clearly the hard time. My job was making statuary works as an assistant of a sculptor.

 

An encounter with Ukranian carpenters opened up my curiosity in language. We were working together for a while, but we had no common language. I spoke English just a little and couldn’t speak Czech at all. They could speak Czech on some level but couldn’t speak English.

 

In the beginning, we kept a wide berth although we had to work together and had no alternative but to communicate. In the process of art production, things made it easier to communicate with feelings. We gradually opened up to each other. In a short while we started to hang out and went to drink beer. They loved drinking beer while working. I tried to talk by looking up words in a dictionary. First I learned words like , ‘Hello’ and ‘Thanks’. Then, ‘I’ and ‘You’. And then, Today, Tomorrow, This, That, Man, Girl, name of food, alcohol, slangs… Our communication looked funny because it was too simple like a primitive man’s communication but they were essential and all important.

 

I remember all the good times we spent together. I was getting to be able to express my feelings and understood how they felt little by little. I didn’t feel lonely any more.

チェコへ滞在して初めの3か月間、僕は英語もチェコ語も話せなかった。感じたことを人に伝えられないその苦しい期間を今もはっきりと思い出せる。彫刻家のアトリエで、作品を作ることが僕の仕事だった。

 

言葉を覚えるきっかけになったのは、チェコへ出稼ぎに来ているウクライナ人の大工との出会い。しばらくの間僕たちは一緒に仕事をすることになったのだが、彼はチェコ語はある程度話すことができたが英語が話せなかった。僕たちは共通の言葉を持たなかったのだ。最初は互いに敬遠していたが、仕事上そうも言っていられない。物作りは言葉を話せなくてもなんとなくわかりあえる部分があるので、挨拶やボディーランゲージ、一緒に物を運んだりしているうちに次第に打ち解け始めた。そのうち一緒にビールを飲んだりするようになった。(彼らは仕事中のビールが大好きだった。)僕はチェコ語の辞書を開きながら少しづつコミニュケーションをとり始め、最初は「こんにちは」「ありがとう」。それから「私・あなた」次は「友達」。「今日・明日」「ここ・これ」「男・女」「食べ物の名前」「酒」「スラング」…そんな順番に言葉を覚えていった。そのあまりにシンプルなコミニュケーションは、まるで原始人の会話のようで可笑しかったが、それらは全て根源的で大切な言葉ばかりだった。

 

彼らと過ごした時間は本当に楽しいものだった。僕は少しづつ、気持ちを言葉に乗せて彼らへ伝えることができるようになっていて、また彼らの気持ちを受け取ることができるようになっていた。その頃にはもう孤独を感じることは無くなっていた。

 

 

岡島飛鳥 / Asuka Okajima:
http://siki.tokyo/
1989年生まれ。アーティスト、イラストレーター。現在京都在住。2016年より1年間、チェコに滞在し活動。その土地の人々や絵本などを通して、チェコ語・スロバキア語・ドイツ語・ウクライナ語など、英語だけでなく様々な言葉に触れ、言語という名の宇宙に興味を持つ。英語教室の授業で出たテーマをもとに、言葉についてイメージした事・考えた事を絵にしていきます。

2017.3.20

HOMEWORK -What would you like to do if you could fly?-

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If I could fly... I would like to be a migratory bird and fly across the sea. I want to know for how long they keep flying and where they sleep. While on the long journey, what do they see, feel and think? The colors of the forests and sea, all living things in each place. From north to south, everything I realize with my skin changes by gradation. As a bird of passage, I imagined such shape of the world.

 

 

Text: Asuka Okajima + Makoto Hamagami

 

岡島飛鳥 / Asuka Okajima:

http://siki.tokyo/
1989年生まれ。アーティスト、イラストレーター。現在京都在住。2016年より1年間、チェコに滞在し活動。その土地の人々や絵本などを通して、チェコ語・スロバキア語・ドイツ語・ウクライナ語など、英語だけでなく様々な言葉に触れ、言語という名の宇宙に興味を持つ。英語教室の授業で出たテーマをもとに、言葉についてイメージした事・考えた事を絵にしていきます。

 

 

2015.10.10

いとし、いとしといふこころ 2

「ねえ、『愛』はどこへいったの?」

 ずいぶん間があいてしまいました。でも「愛」はいつもそこにありました。ただ時として見えにくいだけなのです。

 

 前回の話をざっとまとめれば、「恋(こい)」は訓読み、すなわち和語であり、その意味は動詞「こふ」に由来し、「いまここにないものをもとめる気持ち」だということでした。つまり2行で要約できたのです。おそらく今回も2行ていどの中身しかないと思いますが、数十倍の体積に見せかけてお届けします。綿菓子やホイップクリームのごときものと思っていただければさいわいです。甘い甘い愛のおはなし。

 

だから「愛」がわからない

 「愛(あい)」は音読みです。すなわち中国語の音を日本語に導入したものです。実際には音だけでなく、その概念ごと漢語から導入しました。

 文字や記号を木片や紙に記入する動作を漢字では「書」の文字で表しますが、ご先祖さまはそこに、「けずりとるしぐさ」をあらわす動詞「かく」をあてて、「書く」という訓読み表記を発明したのでした。ところが、文字のなかった昔の日本には、「書かれた文字」や「文字を記して通信伝達する木片・紙片」をあらわすことばがなかったことでしょう。もちろん、文字はなくても何がしかの記号や図像は使われていたでしょうし、それを刻印する動作はすでに「かく」と発音していたかもしれません。ただ、刻印されたもののほうはどのような和語で表していたのでしょう。もしかしたら連用形「かき」だったかもしれませんし、わたしの知らない和語で表されていたのかもしれません。しかしいずれにせよ、文字によって膨大な意味内容を保存伝達する書物や書簡のたぐいはなかったので、当然ながらそこには相当する和語も存在せず、中国語の読みをそのまま拝借して、「書(ショ)」という音読みで対応しました。

 ほかにも、「礼(レイ)」とか「楽(ガク)」とか「経(キャウ)」など、音読みのまま定着した語は、そもそも和語に存在しなかった概念を音ごと導入したものであり、「愛」もまたこのグループに入ります。

 

 余談ながら「書」に相当する和語に「文(ふみ)」があるとのご指摘についてですが(誰も指摘してませんか)、こちらは漢語「文(フン)」(当時の発音では再現すれば「プン」でしょうか)が「ふに」(同じく発音は「ぷに」ですかね)になり、さらに「ふみ」に変化して和語として定着したというのが通説です。伝統的に撥音「ン」の発声が苦手な日本人が後ろに母音iをくっつけて発音しやすくするのも、子音nとmが入れ替わるのもよくあることだったようで、同様のことが文字を記した木片をあらわす「簡(クヮン)」が「かに」を経て「紙(かみ)」にいたる過程でも起こっています。

 

 ともあれ、「愛」はそもそも和語に存在しなかった概念だったのです。はじめこの駄文を書き出した段階では、「『愛』はそもそも和語になかった概念であり、だから日本人には『愛』がよくわからないのだ」と結論づけるつもりでした。書いているうちに、さすがにそれはむちゃくちゃだろうと思い直したものの、いまのところ適当な落ち着き場所は見あたっておりません。

 毒食らわば皿まで。迷走するならトコトン迷走を楽しみましょう。

 

さまざまな「愛」のかたち

 「愛(アイ)」は音読み語として定着しただけでなく、訓読みがいくつもあります。「愛しい(いとしい・いとし)」「愛でる(めでる・めづ)」、いまでは使われませんが、「愛し(かなし)(をし)」などもあります。「愛し(かなし)」は「悲し」とも書き、「大切に思う、かわいく思う」なら前者、「悲嘆、残念、気の毒」の意では後者を用いると辞書にはありますが、もちろんもとは同じひとつの和語であり、「失って悲しい、心残りだ(→心ひかれる、大切だ)」というところに原義があります。「をし」も同様で、「愛し」「惜し」の使い分けはあっても、原義は「もったいない、失うことを恐れる(→大切だ)」でしょう。

 興味深いのは「いとし」で、「いと・をし(とてももったいない)」あたりから来たものかと思っていたら、「いとふ」(厭う)の形容詞形「いとはし」(厭わしい)から、「いとほし」(苦痛に思う、他人を不憫に思う)を経て「いとし」(不憫に思う、かわいい)になったという説が有力です。途中で「いたはし」(労しい、苦労を伴う→大事にしたい→他人の苦痛を気にかける)との混淆によって「自分の苦痛」から「他人の苦痛への同情」に意味が広がったもののようです。それにしても、まさか「愛しい」が「厭う」から派生していたとは。「嫌よ嫌よも好きのうち」という、数ある俗諺のなかでも唾棄すべき筆頭にある戯れ言がありますが、語源の暗示するところによれば「好きよ好きよも嫌のうち」のほうが正しいのかもしれません。

 

 

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 長谷治郎 Roses

 

 

 話を戻します。

 『新明解古語辞典』によると「いとほし」が「かわいい」の意を持つようになったのは室町以降とのことで、「いとほし」に特に「愛」の字があてられることはなかったようです。語形が「いとし」になったのは江戸期だそうで、ようやく「愛」の字があてられるようになりました。ですから「愛」の字が「他人の苦痛への同情」の意を含んでいると考えるのは、少々無理があるようです。「かわいい」の意がじゅうぶん定着してはじめて「愛」の字が当てられるようになったので、発想としては「愛でる(めでる・めづ)」や「愛し(かなし)」に通じるものです。これら訓読み語の「愛」の字に共通して託された意味は「失うと悲しい、失いたくないと切実に思う気持ち→弱いもの、壊れやすいものを大切に思う」であると推測するのが妥当なところでしょう。

 

 するとどうでしょう。前掲のとおり「恋」が「いまここにないものをもとめる気持ち」なのに対し、「愛」が「いまここにあるものを失いたくない気持ち」であるとすると、絵に描いたようなみごとな対比が浮かび上がってくるではありませんか。うっかりこれでめでたしめでたしと結論づけたくなります。(「めでたし」は「めづ」の派生語でもあることですし・・・)

 

 ところが、です。上の考察は訓読みに際して「愛」の字がどのような基準で採用されたかを示すものに過ぎず、音読みで用いられる名詞「愛」の意味を直接示しているわけではありません。いわば状況証拠です。じっさいのところ、音読み名詞「愛」はそのような対比の枠でとらえきれるものではないのです。

 

 名詞「愛(アイ)」が音読みのまま導入されたのは、それに相当する和語がなかったからでした。現に、すでに見た「愛」の訓読みはすべて用言ばかりです。

 「恋(こい・こひ)」が動詞「こふ」の連用形に由来したように、「愛」にも動詞「めづ」の連用形名詞「めで」として成長するチャンスがあったはずです。実際「愛づ(めづ)」は隆盛を誇った動詞であり、「めづらし」「めでたし」など、現代でも広く浸透する派生語を生んでいます。しかし名詞「めで」は存在はしたものの広く使われることなく衰退しました。現代語「愛でる」ですら、使われはしていますが、派生語「めずらしい」「めでたい」に比べるとその衰えは隠せません。「かなしい」「おしい」は意味範囲も表記も「悲しい」「惜しい」に独占されて「愛」の字は過去のものとなり、訓読み勢力はせいぜい遅れてやってきた「愛しい」が健闘しているのみです。それに対して、音読み「愛」のほうはわが世の春といわんばかりのはびこりようです。これはどうしたことでしょう。

 実は「愛」にはもうひとつ用言があります。「愛する(愛す)」です。

 

もうひとつの「愛」のかたち

 昔の日本人が漢字を日本語に取り入れたときに、訓読みのほかにやってのけたウルトラCが、「漢語+サ変動詞『する(す)』」の発明です。すでにこの文章の中でも、「記入する」「拝借する」「迷走する」「暗示する」「推測する」「採用する」「独占する」など用いていますが、多くは近世以降に作られた和製漢語を動詞化したものですし、実態は「記入をする」の「を」を省略しただけとみなすこともできます。

 しかし、「単漢字+する(す)」のかたちのものは、由来も古く、「を」を挿入できないものが多くあります。この文章の中でも、「通じる(通ず)」「託す」などを使っていますが、ほかに「拝す」「辞す」「感ず」「達す」「案ず」などがあり、「愛す」もこの仲間に入ります。もとはサ変でも、現代語では上一段活用「通じる」「感じる」「案じる」、五段活用「託す」などと変化しているものもあります。「愛する」は「愛する・愛するとき・愛すれば」だとサ変、「愛す・愛すとき・愛せば」だと五段といったように、けっこういいかげんな運用がなされています。いずれにせよこのような変化は、堅苦しい「漢語+サ変」がより平易な活用になって「和語化した」とみなすことができます。それだけ由緒ある表現だということかもしれません。

 

 『全訳読解古語辞典』によると、「愛す」の語義は大きく5つ、

① かわいがる。あいする。

② 愛好する。愛玩する。

③ 執着する。愛着する。

④ 愛撫する。愛しあう。

⑤ 相手をする。適当にあしらう。あやす。

とのことで、親切なことに「漢籍系の『愛』は『恵、親、寵、慕、好、仁』に通じ、今日と同じくプラスの語感を有する。仏典系の『愛』は十二因縁のひとつで、『執・貪・染』など執着、執念に通じ、マイナスの語感を有する。」と補注があり、とりわけ③に、「マイナスの語感」があることに注意を促しています。

 

  ここでひとつ気づくことがあります。上の「愛す」の語義を、前の訓読み勢力と比べてみると、訓読みサイドの「失いたくないと切実に思う、壊れやすいものを大切に思う」という意味からことさらに「切実さ」が薄れていて、意味が平板になっているのです。ポジティブにもネガティブにも、訓読み勢力に見られる「うつろいやすいものへの郷愁、もののあはれ」が「愛す」には感じられず、よりニュートラルな表情をしています。これはやはり和語と漢語の語感のちがいによるものなのでしょうか。そうだとするとなおさら、音読み「愛」と訓読み勢力は分けて考える必要がありそうです。

 

 ごめんなさい。力尽きました。つづきはまたこんど。舞台は(たぶん)近代へ・・・

 

 

長谷治郎:

1974年 神奈川県生れ

1997年 京都大学理学部卒

2011年 国民文化祭美術展京都市教育委員会教育長賞

2012年 関西独立展関西独立賞(同14年、15年)

2013年 独立展新人賞

2015年 独立展奨励賞

個展 2015年12月4日(金)〜10日(木)

   銀座かわうそ画廊

現在 独立美術協会会友

作品

https://www.flickr.com/photos/hsjr0208/

第83回独立展

独立展

 

2015.5.6

いとし、いとしといふこころ

 

「愛と恋のちがいってなんだと思う?」

 

思春期まっさかりの少年少女だったころからだいぶ遠いところまで来たわれわれにとっても、ふと立ち止って考えることのある問いかけです。たわむれにインターネットで「愛、恋」と検索するだけでさまざまな回答例を目にすることができました。

 

曰く「恋は自分本位、愛は相手本位」

曰く「『愛』は中心に心があるから真心、『恋』は下に心があるから下心」

曰く「恋は花火、愛はろうそくの火」

曰く「愛は与えるもの、恋は奪うもの」

曰く「恋が時間を経て愛に変る」

曰く・・・

 

まじめなもの、皮肉っぽいもの、気の利いたもの、スタンスはさまざまですが、どのテーゼにもなるほどとうなずけるところがあります。恥ずかしながらわたしも以前、偶然ひとつのテーゼのように読めてしまう回文を作ったことがあります。

 

「憩う愛、酔い合う恋」

 

逆から読んでも「いこうあいよいあうこい」

著作権フリーです。気に入ったらRT。

 

 

こうしていくつか見ただけでも、多くの人が「愛」と「恋」には明確な違いがあるのをみとめているのがわかりますし、二者を分離する基準は多様ながら一定の共通性がうかがえます。

 

「恋」の説明には「主観的、利己的、卑俗」といったパーソナルでバルネラブルな属性を強調し、「愛」の説明として「観念的、利他的、高尚」といったユニバーサルでパーマネントなイメージを対置するというのがひとつの傾向としてうかがえます。その結果「愛」→「恋」の順で説明するときは「恋」がオチになりますし、「恋」→「愛」の順のばあいにはいわゆる「サゲてアゲる」というレトリックが多く用いられています。

 

こうした傾向は「愛」と「恋」というふたつの日本語についてのある興味深い事実と関連していると思っておりますが、いまのところはっきりそれに言及した主張を見かけないので、ここでご紹介します。その事実とは、

 

「『愛』は音読みであり『恋』は訓読みである」ということです。

それがどないしたんや。

 

 

「音読み」は漢字が中国大陸から導入されたときに、当時の中国語の音をそのまま、またはそれに近い当時の日本語の音を当てて読んだものです。対して「訓読み」はその漢字の中国語読みとは無関係に、その漢字の意味に相当する日本固有のことば(和語)の読みを無理やり当てたものです。

 

いま仮にアルファベットで同じことをしてみます。「carry」と書いて「キャリー」と読み、「運搬」を意味するのが「音読み」に相当し、これは普通の外来語のあつかいと変りませんが、訓読みでは「carryぶ」と書いて「はこぶ」などと読むことになります。いびつです。無茶もいいとこです。

 

もっとも、こうした文化は文字を持たなかった日本人が漢文を読む手助けとして送り仮名(カタカナ)が発明された事情を経ていますし、仮名そのものが漢字(万葉仮名)をもとに作られたものですから、アルファベットで同列に考えるのはナンセンスです。それなら「carry bu」とローマ字読みとまぜこぜにして「はこぶ」と読むのはどうでしょう。

 

妄想はともかく、音読みに比べて訓読みは大胆な方法だということは異論のないところだと思います。漢字の導入につづくカタカナひらがなの発明を経て現在の漢字仮名まじり文にいたり、日本語はたいへんゆたかな広がりをもつことができたのですが、功あれば罪あり、ひずみもまた現在に残っています。

 

小学校6年生のとき中学受験をしたのです。唐突な思い出話。国語漢字頻出問題として必ず紹介される選択問題に「はかる」とか「おさめる」があります。

 

「はかる」 長さなら「測る」

      重さなら「量る」

      時間なら「計る」

      工夫なら「図る」

      計略なら「謀る」

      相談なら「諮る」

 

「おさめる」学業なら「修める」

      治安なら「治める」

      税金なら「納める」

      利益なら「収める」

なんじゃこりゃ。

 

当時の感想ですが、小学6年といえばロリエもびっくりの吸収力ですので難なく覚えました。いまではだいぶあやしいもので、家賃は「収める」のか「納める」のか自信がないのでひらがなで書いています。

 

和語においては「はかる」も「おさめる」もそれぞれひとつのことばでした。ところが漢字に和語を当てていったら1対1に対応しなかったものだから、しばしばまったく意味の異なる漢字に同じ和語を当てることになりました。これらはそのときの鬼子です。

 

「はかる」は「未知、不可視、将来のものごとに対して、明らかにしようとしたり何らかのはたらきかけをしたりする」という意味だったのでしょう。「おさめる」は「本来あるべきところ、あるべき姿、正しい形、望ましいあり方に、ものごとを収容する」という意味でしょう。ところが用例に応じて別々の漢字を当ててしまったため、(というか、用法のちがう漢字に同じ和語をあててしまったため)、意味が細分化されて和語本来の意味の広がりを失ってしまいました。ただし、これらふたつの語はまだもとの意味の名残をとどめているほうです。

 

別々の漢字が意味範囲を分担した結果、もはや完全に無関係のものどうしとしか認識されなくなった例に「かく」という動詞があります。

 

「文字を書く」「精彩を欠く」「背中を掻く」「寝首をかく」いずれももとは「削り取るしぐさ」をあらわすひとつの和語だったものです。ほかに「いびきをかく」「あせをかく」「恥をかく」などもありますが、こちらはすべて「身にまとうようす」をあらわす点で共通しています。「削り取る」グループと「身にまとう」グループは関連がないようにも見えますが、中国文学研究かの高島俊男せんせいは、どちらも「手を自分のほうに払うように引き寄せる動作」に由来するものだろうとおっしゃっています。猫が前足で砂を「かく」ようすなどを想像すると「削り取る」と「身にまとう」の共通点に納得しやすいかもしれません。

 

長谷治郎 Unknown Country

 

話を戻します。

 

「恋(こい)」は訓読みです。より分析的にいうと動詞「こう(こふ)」の連用形です。日本語では動詞を名詞化するときに連用形を用います。英語のto不定詞や動名詞、または従事者をあらわす接尾語の-er,-orに相当するはたらきを、日本語では連用形が担っています。「よろこぶ」の名詞形は「よろこび」、「ひかる」の名詞形は「ひかり」、自分に都合よく立場や意見を変えること、またそうする人は「ひよりみ」、天城山を越えようとする試み、またそうする人は「あまぎごえ」。つまり「こひ」は「こふ」の連用形であり、「こふこと、こふひと」をあらわしたはずです。

 

「こふ」は「恋ふ」と書きますが、ほかにも「請ふ」「乞ふ」の漢字が当てられた語があります。ここからは仮説ですが、これらはもとは同じひとつの意味だったのではないでしょうか。意味は容易に想像できます。「いま自分のものでないものを求める、手に入れたいと願う」ということです。

 

ところがひとつ問題があります。「恋ふ」は上二段活用、「請ふ」「乞ふ」は四段活用なのです。あれれ。ということはやっぱり別のことばかしら。しかしあきらめてはなりません。先ほどの「かく」の例をふたたび見てみましょう。

 

先にあげた「かく」はすべて四段活用他動詞ですが、「かく」には下二段活用他動詞「掛く」「懸く」もあります。現代語なら「掛ける」「懸ける」「賭ける」「架ける」などです。これらはみな「なにかを対象の身にまとわせる(→こちらと向うをつなぐ)」という意味で共通しています。「(なにかを)自ら身にまとう」のが四段「かく」で「(なにかを)相手の身にまとわせる」のが下二段「かく」だとすれば、文法が異なるからといって由来も別だとは言い切れないのではないでしょうか。「いま手元にないものをもとめる」点は共通して、心の中で慕うのが上二段「こふ」となり、具体的にもとめる動作をあらわすのが四段「こふ」になったというのが仮説の骨子です。

 

もし仮説どおり上二段「こふ」と四段「こふ」が同じ由来だったとしても、その分離はおそらく漢字到来より古いでしょう。すると漢字が導入されたときにはすでに別々の意味の和語として認識されていたわけで、この点については漢字にも訓読みにも何ら非はないということになります。先の「はかる」「おさめる」の話とはずいぶん事情がちがいますね・・・

 

仮説の真偽はどうであれ、「こひ」が「いまここにないものをもとめる気持ち」であることは国語上の事実です。いくつものテーゼに共通していた「主観的、利己的、卑俗」な属性はここに由来しています。原義にしたがえば手に入れたが最後「恋」は終ります。いい大人がいつまでも「恋人みたいな夫婦でいたいね」って、「痛いね」の書きまちがいじゃないのかと思うあなたは正しかったのです。思ってませんか。わたしだけですか。すみません。

 

 

「ねえ、『愛』はどこへいったの?」

すみません。忘れてました。またこのつぎに。

 

 

 

長谷治郎:

1974年 神奈川県生れ

1997年 京都大学理学部卒

2011年 国民文化祭美術展京都市教育委員会教育長賞

2012年 関西独立展関西独立賞(同14年、15年)

2013年 独立展新人賞

現在 独立美術協会会友

 

作品

https://www.flickr.com/photos/hsjr0208/

 

Sante 2015年6月2日(火)~14日(日)(月曜休館)

アートコンプレックスセンター(The Artcomplex Center of Tokyo)

http://www.gallerycomplex.com/

 

2015.5.6

A thought on English and dying languages

 

When the weather conditions are right on Yonaguni, an island lining the west border of the country, Taiwan can be seen from the northwest beach. Yonaguni isn’t just close to Taiwan, the distances from it to places like the Philippines and Vietnam aren’t much different from the distance to Kumamoto. Yes, Japan is much thinner than you may think.

 

Five years ago, a friend of mine who lived in the center of Tokyo moved to this island because she wanted to live alongside horses. There are about 100 wild, indigenous horses called Yonaguni horses living like this on a farm on the edge of the island.

 

When she came back to Tokyo to visit, she said: “It’s kind of boring how all the publishing companies are in Tokyo. It might be fun if I made a publishing company on an island right on the edge of the country.” They say many a true word is spoken in jest, and sure enough, she actually published a book in March 2012. The name of her company is kadibooks, and right now, she’s in the process of preparing her second.

 

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Five minutes from her room, there’s a cliff with a monument that reads “The hill where you can see the last sunset in Japan.” When I sat there and watched the sun set, staring far past the sea, I thought about how the sun is always rising and setting somewhere around the Earth. So then what exactly did they mean by ‘last?’

 

Taiwan lies on the other side. Beyond here, people don’t speak Japanese, which makes this the farthest Japanese publishing company to the west. On this island, though, there exists another language: Dunan munui. On mainland Japan, it’s seen as a type of Okinawan dialect, but UNESCO counts it as a completely different language from Japanese. There doesn’t seem to be a fine line with which to completely separate languages from dialects, but while Japanese and the Ryukyu languages correlate very closely with one another, they share less vocabulary words than English and German do.

 

Here’s what I found on the UNESCO Site.

 

There are eight minority languages in Japan:

Ainu (Hokkaido)

Amami

Hachijo

Kunigami

Miyako

Okinawan

Yaeyama

Yonaguni (Dunan munui)

 

Every language on that list aside from Ainu is a Ryukyu language, and they all use different vowels. It’s hard to get an exact count of how many people can currently speak Yonaguni, which only has 3 vowels (i/u/a), but as of 2010, the number stood at a little less than 400 people, making it a severely endangered language. Yonaguni even has its own system of picture writing known as Kaida letters, which was used up until the Meiji Period.

 

It’s also said that the Ryukyu languages are offshoots of the old Japanese language, since they still have words that use the ‘p’ sound that existed 7 centuries ago, such as ‘pitou’ (person) and ‘pikai’ (light in the Miyako language). Even though they all exist on the same island, the language is so different from one village to the next that people can hardly communicate with each other.

 

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According to Y, a young singer who’s working to record the Sunkani songs of Yonakuni, there are traces of word diffusion from Yonaguni to Ryukyu, and from Japan to Ryukyu, like the waves that flow in and out from the shore. Perhaps this just means there’s more than one ‘Japanese language.’

 

After quitting my job, coming to the ‘edge’ of Japan, and turning 41, I didn’t just get lost, I had the ladder pulled right out from me, and completely lost sense of what is and isn’t ‘Japanese.’ Will I be able to make it to the other side? Will I be able to go on studying English?

 

Just like how people had to study ‘standard’ Japanese or Yonaguni history in order to survive, we’re seeing more and more people who are now studying English in order to survive. Perhaps Japanese itself is in the process of becoming a ‘local language.’

 

■In Japan’s Okinawa, saving indigenous languages is about more than words(The Washington Post 2014/11/29配信)

http://www.washingtonpost.com/world/in-japans-okinawa-saving-local-languages-is-about-more-than-words/2014/11/26/f1b8e2d0-7023-11e4-a2c2-478179fd0489_story.html

 

 

The Tsumukiumu Editorial Office:

Raised in Chiba, living in Tokyo. I’m looking for a path of words that will let me wander as I please without any suffocating restrictions. I’ve helped out with the “Horse Words Notebook” published by kadibooks on Yonaguni.

 

2014.12.25

縄バシゴとしての英語2

 

日本語の「はしっこ」―ほんとうに崖っぷち

 

東京にオリンピックが来ることになって、ねじれた理由で決意した英語再学習。日本語で受けとる情報のなかで日本語で考えているのが息苦しくなってきて、39歳の崖っぷちでせめて「日本語でない世界」にわたりたいと「縄ばしご」として掴んだ英語だったのですが、か…風が想定以上に強く、ぶらんぶらん 縄にしがみついているだけで……1年がたってしまいました……。英語…すすんでません……

 

思わぬ強風でした。風やんだら書きますといいながら、いつのまにか暴風域に……気づいたら会社を辞めていて、いま崖でぐるりを囲まれた国境沿いの島で、これを書いています。

 

 

西の国境沿いの島・与那国島は、天候の条件がととのえば、北西の対岸に台湾が見えるといいます。与那国から台湾が近いことはもちろん、フィリピンやベトナムまでと熊本までの距離がほぼ同じくらいなんですね。思うよーり、「日本」は細長いです。

 

5年前、東京のまんなかで暮らしていた友人が、馬と暮らす生活をしたいということで、この島にひっこしてゆきました。

 

与那国島には、与那国馬という在来馬が100頭ばかり住んでいて、島のはしっこの牧場では、野生の馬がこんなふうに暮らしています。

 

photo_A

 

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その彼女が、東京に遊びに来たとき、「東京にばっかり出版社があるっていうのがつまんないね」「じゃあ国境沿いの島で出版社つくったらおもしろいかもよ?」という冗談から駒が出て、2012年の3月にほんとに一冊の本を出すことになりました。出版社の名前はカディブックス(kadibooks)。続く2冊目を、いまつくっているところです。

 

部屋から歩いて5分のところに「日本最後の夕日が見える丘」という石碑のある崖っぷちがあります。夕暮れ時に石の上に座って、海の向こうを眺めていると、地球上ではいつもどこかで日が昇り、沈んでいるわけで、「〝最後の夕日〟って何よ」という気もしてきます。

 

photo_C

 

向こう側は「台湾」。このさきは、ふつうには日本語は通じないけれど、そっか、日本語の本を出す、いちばん西の出版社なんだな、と思いました。

といいながらこの島には、「与那国語(ドゥナンムヌイ)」という言葉があるそうです。国内では日本語の「沖縄方言」のひとつとみなされることも多いようですが、ユネスコなどは日本語とも異なる一言語にカウントしているとのこと。「言語」と「方言」の境目もくっきり引けそうにありませんが、「日本語」と「琉球語(琉球諸語)」については、文法の対応関係は強いいっぽう、語彙の共有率は「ドイツ語」と「英語」より低いそう。

 

ユネスコのサイトにいって、調べてみると…

 

日本の少数言語は8つ―

 Ainu (Hokkaido)

 Amami

 Hachijo

 Kunigami

 Miyako

 Okinawan

 Yaeyama

 Yonaguni

 

アイヌ語のほかは、すべて琉球諸島のことば。それぞれ母音の数がまちまちです。母音が3つ(i/u/a)の与那国語を現在話せる人は、厳密なカウントは難しいはずだけど、およそ400人弱(2010年)、危機言語の「Severely endangered」になっています。与那国にはさらに「カイダ文字」という象形文字があって、明治になるまで使われていたそうです。

 

一方、琉球諸島の言葉そのものが「古日本語」から伝わったともいわれていて、7世紀前の「日本語」にあった「p」音(ピトゥ:人、ピカィ:光〔宮古〕)を残していたりするんだそうで……さらには一つの島のなかでも通じないくらい村と村の間で言葉がちがっていたりもしたんだそうで……。

 

「スンカニ」(与那国の唄)の若い歌い手で、歌の記録に努めるYさんの話からは、寄せては返す波のように与那国から琉球へ、日本から琉球へ、言葉が双方に伝播していった軌跡を感じました。

 

いくつもの「日本語」がある、と言ってもいいのかなぁ。。

 

会社を辞めて、日本語の「はしっこ」に来て、41歳になって、惑わずどころかハシゴが外れ、「日本語」の境界そのものがよくわからなくなってきました。「向こう側」にわたるんでしょうか。英語、つづけられるんでしょうか……

 

生き残るために「標準日本語」を学ばざるをえなかった琉球あるいは与那国の歴史のように、生き残るために英語を学ぶ人が増え、日本語が「ローカルな言語」になっていく未来のことも思いつつ。

 

photo_D

 

photo_E

 

■「ヤギの肉はおいしいなぁ」を宮古、八重山、与那国の言葉で言うと…
https://www.youtube.com/watch?v=wkXqgIVGjUE

 

■どぅなんスンカニ
https://www.youtube.com/watch?v=3yu4NTxqphE
https://www.youtube.com/watch?v=f4WewaCqsVU

与那国語でこの島は「ドゥナン」。”渡るのが難しい”「渡難」という意味が有力。

 

■In Japan’s Okinawa, saving indigenous languages is about more than words(The Washington Post 2014/11/29配信)

http://www.washingtonpost.com/world/in-japans-okinawa-saving-local-languages-is-about-more-than-words/2014/11/26/f1b8e2d0-7023-11e4-a2c2-478179fd0489_story.html

 

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http://www.kadibooks.com/

 

 

 

2014.2.2

縄バシゴとしての英語1

 

日本語のそとへ

 

最初のイントロから3ヶ月がたちました。英語をはじめて3ヶ月です。去年の暮れは、縄バシゴを伝って逃げてしまいたくなるニュースが方々からやってきて、かといって、つたって日本の外へ逃げられるような英語力があるわけもなく、風に煽られるハシゴから見える崖向こうの風景をゆらんゆらんと眺めるばかりのこころもとない年末でした。

 

テレビを見るのがしんどくなってきたのは7年前。新聞をとらなくなったのが4年前、雑誌もだんだん読まなくなって、電車の吊り広告も見るのがつらく、気づくとなんだかマスメディアというものからすっかり引きこもりになっていました。最近はもっぱらラジオとネットばかりです。

 

でも、先日、英語の教室の部屋のスミにばさばさと積んであった『Time』の表紙のオバマの写真がかっこよくて、なんとなくぱらぱら眺めてみたら、英語はよくわからなくてもレイアウトはわかる。写真もわかる。日本の週刊誌とはずいぶんちがう……中身のテキストはどんなかなぁ。そう思ったら、なんでしょう。何かがくるんとひっくりかえるような気持ちがして、押し入れの外に英語の海がちらっと見えた気がしました。

 

といいながら、西側の国がもろともしずんでいく時代に、40歳になって『Time』をめくって文明開化の音がしましたなんて100年遅い気がします。でも手にとるメディアが、『Time』であっても『ALJAZEERA』であっても『Democracy Now』であっても、海のむこうのメディアにだってあちらのいろんな事情があるでしょうし、隠されているものも露わなものも、いろいろ。でも違う言葉を知ることで、露わにされたものの向こうを想う自由が自分のなかに残せるなら、まだ少しだけ生きやすくなるかもしれません。

 

 

岡村昭彦という1960年代に『LIFE』で活躍したジャーナリストは、日本の人たちに話をするときに、3つの世界地図を見せたといいます。一つは日本の天気図でみるような日本が真ん中の地図。もう一つは、イギリスのグリニッジ天文台が真ん中に来る地図。ヨーロッパ大陸が真ん中で、日本は東のはじっこ。つまり極東。そして、最後はアメリカ大陸が真ん中にある地図。これは合衆国版。

 

■ Maps of  World

World Map

 

“世界”の”センター”が見ている地図はこっちだよ、というわけです。いろんな国に行く人はいつのまにか知っていることだろうなぁと思うのですが、私はやっぱり知らないことです。それでまず、「世界地図」で検索してみました。

 

すると…

 

https://www.google.co.jp/search?q=世界地図&rlz=1C5CHFA_enJP507JP507&espv=210&es_sm=91&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=6ZvsUsnBEImXkQXC3IDACg…

 

 

それから「world map」で検索すると…

 

https://www.google.co.jp/search?q=世界地図&rlz=1C5CHFA_enJP507JP507&espv=210&es_sm=91&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=6ZvsUsnBEImXkQXC3IDACg…

 

 「世界地図」は知っていたけど、「world map」は知らなかったです。

 

 

 ほかの言葉でもやってみました。

 

 世界地图

(中国語)

https://www.google.co.jp/search?q=%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%9C%B0%E5%9B%BE&rlz=1C5CHFA_enJP507JP507&espv=210&es_sm=91&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=bKHsUtHqOYrllAWZm4DQDQ&ved=0CCkQsAQ&biw=1345&bih=920

 

 

 خريطة للعالم

(アラビア語)

https://www.google.co.jp/search?q=%D8%AE%D8%B1%D9%8A%D8%B7%D8%A9+%D9%84%D9%84%D8%B9%D8%A7%D9%84%D9%85&rlz=1C5CHFA_enJP507JP507&espv=210&es_sm=91&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=cKLsUvD3CIWpkQW4kIBY&ved=0CCkQsAQ&biw=1345&bih=920

 

 

दुनिया के नक्शे

(ヒンディー語)

Margesh Patel – दुनिया के नक्शे

 

 

おまけ*こんなのも。

ヤポネシア

環日本海・東アジア諸国図(通称:逆さ地図)の掲載許可、販売について|富山県

 

 

 

 

岡村昭彦の回顧展が東京都写真美術館でひらかれます(2014年7月~9月)

東京都写真美術館

 

 

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2013.10.27

Introduction

英語の向こうがわ〜縄バシゴとしての英語

 

なんねんぶりだろう。英語をやっぱりやりたいな、というか、やらないとちょっと苦しいな、とオリンピックが東京に決まった朝、眠い頭でぼんやり思いました。

外国の人が日本に沢山やってくるから道案内くらいできなくちゃとか、遅ればせながらキャリアアップだとか思ったわけでなく、この先、日本語しかできないとちょっと息ができなくなってしまいそうだなぁと思ったのです。やむなく手をのばした先が“とりあえず”英語でした。

今から20年前、とりあえず英語をやるのはいったんやめてみようかなと思いました。でもいずれ、英語の向こうがわに、どうしても会いたい人や、知りたいものや、そういうものが現れたら、そのときはたたたたっと英語の橋をわたって、あっちにいけるんじゃないかなぁとも思っていました。英語を勉強することが、筋肉をつけることじゃなく、何かと出会って、やわらかくなるようなことだといいなぁ…と思っていたのかな。

でも結局20年、なんにも向こうがわに愛するものを見つけられず、橋の手前で起きたり眠ったりしているうちに、日本語を話さない面白そうな人が現れても、なんとなく、もじもじ笑うだけの人になりました。そしてだんだん日本語の世界でホモサピエンスとして生きることに疲れはてることとなりました。

いま、向こうがわに誰も何も見えてはいないけど、崖の向こうがわから、ぱらっと縄梯子みたいに英語が落ちてきたから、向こうに何があるかわからないけど、とにかく、このハシゴにのぼってみよう。しがみついて、のぼって、あっちに歩いていってみようかなと思います。

夢に至るためのきれいな橋というより、必死に逃げ出すためだけの縄バシゴとしての英語。私がもう一度英語をやりなおす動機は、そういうとても当てのないものです。

それでも指の先に、ちょろっと触れる、英語の向こうがわ。あ、これ読みたいなぁとか、知りたいなぁとか、話したいなぁと思う向こうの風景を、ここに少しずつスクラップしていこうと思います。20年ぶりにやりなおす英語1年の記録です。

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