Kio Griffith, Artist talk
日本とアメリカの両拠点で活躍されているアーティストのキオ・グリフィスさんにトークしていただきました。今回はLAと繋いでのオンライントーク。アメリカと日本、二つの文化背景を持つキオさんの作品について、「Bicultural」をキーワードに伺いました。
Coral Sea: The Unheroic Battle and the Surrender of Abandoned Youth
1942年、日本海軍とアメリカ軍の間で発生した珊瑚海での戦闘をモチーフにした作品では、キオさんのご家族とつながりのあるアメリカ、日本それぞれの視点から描かれています。間に合わせで作られた一見強靭に見える軍艦など、多くの船が沈没しながら誰も利益を得ない結果となった戦いを中立の立場から描いた作品です。
Operation Room
戦闘中に船が沈む際、海洋表面に大量に流れた油を描いたインスタレーション。当時は今のように環境への高い意識もなく、大量の油が海に流出しても取り上げられることはありませんでした。おもちゃの鉄砲やゲーム機をモチーフにした作品。俳句やギンズバーグの反戦詩から着想を得た作品など、中庸であるとは何かを問おうとする視点から制作されているように感じました。
・・・・・
17名の参加者からはさまざまな質問がありました。以下はQ & Aの一部です。
質問①母語はなんですか。
: 実は英語と日本語、そして幼い頃はフランス語でも教育を受けていたので言語が混じり合っています。目が覚める度に、ボクは日本人なのか?アメリカ人なのか?と分からなくなる時がありました(笑)。
世界でいろんな人々と出会い、経験を積んでいくうちに自分が日本人的だと感じるようにもなりました。行動や振る舞いも。きちんと話せなくて恥ずかしいと感じたり、攻撃的になれなかったり、表現することが苦手だったりする時があります。
質問②作品を作る時に、ご自身の意識で行う部分と無意識で行う部分、又はその境界線など考えることはありますか?
: ある程度までは意識的に、方程式や理論を立てるように作品を制作します。その後はそのコンセプトを少し夢見るような感覚になります。意識と無意識の部分が行ったり来たりして混じり合い、思いもかけなかったことが起こる。最後にはその境界線が無くなりぼやけて、魔法がかかっていくような感じです。
質問③ 二つの文化背景がある中、文化的なアイデンティティーは調和していますか。それとも対立していますか。作品にどのように反映しているでしょうか。
: 子どもの頃はレフリーのような感覚でした。どちらの文化、言い分が正しいのかと悩んだ時もありました。インターナショナルスクールに通っていたので同じような境遇の友人たちがいましたね。両文化にちょうど良い感じのラジオの周波数を探しているような感覚です。もつれた二つの文化の狭間に立って困難な時もありましたが、作品を通じて表現できることに幸せを感じています。
質問④ 「ムダなもの(waste)」について少しお話ししていただきたいです。現実的、功利的に向かうアメリカや日本の社会の流れの中で、アート、特に従来的ではないモダンアート以降のアートは「ゴミ(waste)」のように見えてくることがあります。例えば時間や資源、人材(human capital)の「ムダ使い」など。皮肉にもキオさんの作品の多くは出版物や消費されたモノ、また戦争の「廃棄物(waste)」などからできてますよね。「ムダ」「過剰(excess)」そして「優れていること(excellence )」との間に、なにか関わりはあるでしょうか。私たちはどのように「ゴミ」と「可能性」の両方を結びつけることができるでしょうか。
: 命を失ったモノに第二の人生を与えられないか、何かできることはないかと考えます。ちょっとした手術をしているような感じですね。フランケンシュタインみたいな(笑)。作っていく過程には、さまざまな発見がありました。「優れている(excellence)」という言葉には少しトラウマがあります。鍋島一族の出だった祖母は伝統を重んじ、花道や茶道なども含めた「完璧な」教育を求めました。私が幼い頃に感じた「優れている」ことに対するイメージは「怖い」でした。ただその枠から出て「ムダとされるもの」を集めていくうちに、自分にとっての新しい「優れている」ことの定義ができてきました。それはより優しく、人間らしいものになっていきました。
「人材(human capital)」とは面白い表現ですね。Amazonで買い物したらダンボールが勿体無いなあ、といつも罪悪感を感じてしまいます(笑)。ダンボールアーティストになるつもりはないけれど、ここでも何かできることはないだろうかと考えます。太平洋に浮かぶプラスチックのゴミの島も気になりますね。何ができるのだろうか。そこで国家を作る?市民権を得ますか?(笑)。また不動産やジェントリフィケーション(高級住宅化すること)、宅地開発などについても考えさせられます。
質問「ムダなもの」と「記憶」についてはどうでしょう。
: アートの歴史、一般的な歴史もそうですが多くは次の世代には失われます。デジタルで写真を残すことはできても、自分自身を記録に残すことはできない。そして異なる解釈がなされていく。そこに対して何ができるかを考え続けています。
・・・・・
言語と文化の間で、作品を通して問い続けるキオさんのトークを伺い、境界を超えたところからこそ見えるものがある。そこに誠実に、それぞれのやり方で取り組むことが面白く、大切なのだと感じさせられました。
Kio Griffith is, Los Angeles and Japan based artist, curator, and writer. His conceptual work includes drawing, painting, sound, video, performance, electronics, language, sculpture and installation. He has exhibited internationally in UK, Japan, Germany, Croatia, China, Hong Kong, Turkey, Belgium, Sweden, Mexico, the U.S. and so on.The objects and images in his artworks infused with the cross-cultural history in which he lives, he often reflects his own family history for personal experiences which create insights into a broader context.
http://kiogriffith.com