あなたのそばに
1年に一本のペースになってきている英語教室のこの連載。連載がなければちゃんと振り返る機会もないので、ありがたいなぁと想いながら、わたしがこの2023年を振り返ろうとしたときに、立ち現れたのは「寄り添う」という言葉。そして、『自分にとって大切な人が手を動かし、料理をし、それを一緒にいただく』というイメージも一緒に。寄り添うってそういうことなんだと、原稿を書こうとする瞬間に気がついて、その喜びと思い出に包まれて涙が溢れだしてしまっています。2023年は、大切な人に、寄り添われて、寄り添った1年だったようです。
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2023年のはじめのある日、
大切な人のその最期の瞬間を家で看取りました。人に思い出して話すこともできないくらいに、私にとっては衝撃的な出来事であり、贈り物であると思っています。そのとき看病でつきっきりで、自分たちの食事なんかに興味も持てず、つくることも食べることもできなかった私と母に、そのあいだ夫が毎食、ごはんを作ってくれていました。おいしいおいしいと言って食べました。そのときから、始まっていたんだと今になっては思います。
ある日、
電車に長い時間乗ることもつらい、それでもお葬式の前には髪を切らねばと向かったのは2時間かけてゆくいつものお店。着いたころには私はちいさくちいさくなっていたのですが、彼らは多くのことを尋ねてくることはありませんでした。いつも通り、手を動かし、つくったごはんをたくさんだしてくれました。そしていつも通り、髪を切ってくれました。
ある日、
仕事に復帰した直後、元気はないが元気を出さないといけないときに、
事務所の花辺の友人のTさんやKさんが昼食を振る舞ってくれました。
何を作ってくれたか覚えていません。でも、泣きながら食べました。
大袈裟な表現でなくて、心が震えたのを覚えています。
ある日、
元気を無くした母に、どうしていいか分からなくなったときが来ました。どうしようと思ったけれど、誰かに作ってもらってご飯を一緒に食べたことが、何より嬉しかったことを思い出しました。私はおむすびを握って、母を植物園に誘いました。母は泣くほど喜んで、おいしいと言って食べました。木陰の中、ときおり、きらきらした光がはいる場所で、泣きながら母がおにぎりを頬張っていて、母が生き返ったとさえ思いました。
ある日、
友人が拓こうとしている森に手伝いに行きました。そのときいろんなことがあって仕事ができず、うーんとなっていたら声をかけてくれました。お昼にはMちゃんがおむすびを握ってくれていて、お肉やらなんやらが、どっさりタッパの中に入っていました。Mちゃんの手で出際よく盛られていったお皿の上で、ひしめき合うもりもりのおかずと野菜たち。私はきのこのナムルを作ってもっていって、一緒にお皿のうえに混ぜてもらいました。食べさせてもらっているというかたちじゃなくて、一緒に、という感覚が生まれました。嬉しかったのです。
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この一年、自分にとっても大事な誰かにとっても、悲しみがたびたびやってきました。でもその度にちゃんと日々を過ごすことができたのは、大事な人のつくったごはんであり、自分が大事なひとのためにつくったごはんの力だったように思います。その他にもたくさんある、誰かがご飯をつくってくれて、ときに私がつくって、一緒に食べたという記憶。それが、私にとっての『寄り添う』という言葉の記憶になりました。
前に別のテーマで英語教室のカノさんに「寄り添うとは?」と尋ねたときは、to be in one’s shoesでした。あなたの靴を履くこと。その人の気持ちになり、その人の目線にたつことが、私にとっての寄り添うことだったので、イメージがピタッとはまっていました。
でも、私がいま記憶する「寄り添う」という言葉とイメージが少し異なります。
この原稿を送って、英語教室のカノさんに寄り添うという言葉を探してもらいました。
かえってきたのは “By your side” あなたのそばに。
どんだけ辛くても悲しいことがあっても、不思議なものでお腹がすく。
もう嫌だと思って怒っていても、不思議なものでお腹がすく。
嬉しい楽しい、やったー!となっていても、不思議なものでお腹がすく。
2024年以降もきっといろいろな感情に出会ってゆくのだろうなぁと思います。
その度に自分の手でごはんを作って、誰かと一緒に食べること。
“By my side”
自分にも寄り添う一番の手立てに出会えたのかもしれません。
出版社『さりげなく』 わかめかのこ
京都で仲間たちと小さな出版社をしています。